暗闇の中で踊れ。

10月20日/夜

 

「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を観た。

まだ観てないなら観たらいいよ、と言って、大丸さんがDVDを貸してくれた。

前にも誰かにそう言われたなあと思いながら観た。

映画はとても良かったのだけれど

見終わった後、できたてのゴムを体に流し込まれたみたいに、ぐったり、苦しくなってしまった。

 

はいつくばるようにして眠ったけれど

ラストシーンのセルマが、3秒に一度くらいの間隔で体を揺すった。

セルマの着ていたブルーのワンピース。

少し眠って、目が覚めたら、しんと静かな真夜中に居て

体中、ぐっしょりと汗をかいていた。

みみをすましたけれど、今日に限って誰の寝息も聞こえて来ない。

起き上がって着替える気力も無くて、気づけば腹も猛烈に痛い。ああ、ちくしょう。

 

気晴らしに、読みかけの小説の続きを読み始めたら

「同級生の青木君」が「自殺」するところだった。

ああ、ちくしょう。

 

強行突破で眠ろうと試みたら、また処刑されるセルマのワンピースが、まぶたでちらちらする。

青い、青。うん?そうなの? え?ちがう? なになに?

そうだ。

ブルーのワンピースのそばで、さっきからちらちら見えているのは

違う青だった。

ちらちら、ちらちら。

 

青いパーカー、黒ぶちの眼鏡、焦げ茶色の髪の毛、大ぶりの瞳。

 

ああ、まこっちゃんだ。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まこっちゃんは、いとこのユウちゃんがつれて来た。

進学で東京に出た私は、都内に住むのが怖くて、横浜市港北区にアパートを借りた。

(住み始めてから、学校まで行くのに毎日1時間半かかることが判明した)

ユウちゃんは、父親のお姉さんの娘。同い年。横浜市旭区に家がある。

長野から出て来て近所に知り合いも居ない私に、横浜在住の友達を紹介してあげると言って、

4人くらい友達を連れて、私のアパートに遊びに来た。みんなでお酒をのんだ。

そこにまこっちゃんはいた。イマドキな感じで、英語のロゴの入ったTシャツを着ていたと思う。

あとは「けんぴ」というあだ名の、多分本名はケンイチとかケンジとかいうんだろうけど

芋けんぴが好きだと言う、芋けんぴのようにひょろっとした、ほのかに甘い喋り方をする男の子と、

巨乳の女の子。だったと思う。

  

そのあと一回だけ、まこっちゃんを頼った。

綱島駅に置いていた自転車が、気づいたら撤去されてしまって

自転車を取り戻すのには、「港北区の撤去自転車の置いてあるところ」までいかなくちゃならないという。

土地勘もないし、自転車もないし、どんなバスに乗ったらそこへゆけるか、皆目見当がつかず

「近所だ」と言っていた、まこっちゃんに助けてもらうことにした。

 

まこっちゃんは、私をバイクか自転車だったかの後ろに乗せて

港北区の撤去自転車の置いてあるところに連れて行ってくれた。

天気のいい日で、ぽかぽかと陽射しがふりそそぐなか、住宅街を抜けていった。

ずいぶんと遠かった気がする。

 

自転車の墓場みたいなところだった。

私は圧倒されて、すぐに動き出せなかった。

赤、黄色、灰色、紺、黒、おびただしい数の自転車が、隙間無く空間を埋めていた。

ゴミ処理場のようだとも思ったし、閉園した遊園地のようだとも思った。

入口には守衛さんがいた。

まこっちゃんは、面白いというわけでもなく、かといってつまらないわけでもないという顔をして

おびただしい数の自転車の中から私の自転車を探してくれた。

自転車は見つかった。どっちが見つけたのか、良く覚えていない。でもまこっちゃんが見つけたような気がする。

 

その行きだったか、帰りだったかに私が

「どんな音楽を聴くの?」ときいたんだ。たしか。

そうしたら「ビョーク」と言ったんだ。たしか。

そのとき、そうだ。まこっちゃんが、ダンサー・イン・ザ・ダークの話をしていた気がする。

 

帰りに、綱島の駅前のTSUTAYAに寄って、ビョークのCDを借りた。

鶴見川の土手でお礼を言って、さようならをした。

 

その後も2年間その町に住んだけれど、土手は良く行ったけれど

鶴見川は、流れているんだか停まっているんだか、最後までよくわからない川だった。

 

借りて来たCDは、一回聴いた。

そのあとは、なぜだか独りでは怖くて聴けなかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

そうか、さっきから目の前に浮かぶ残像のようなブルーは、まこっちゃんだったのか。

汗だくの体で、ぼやける天井に手のひらを向けて、じっとしてみた。

 

まこっちゃんって、実在していたんだろうか。

おとといの満月より少し光量を落とした月明かりが、カーテンの隙間から染み込んで来る。

駐車場に誰かが帰って来た音がする。ずいぶん乱暴に車を停車した。

まこっちゃんって、実在していたんだろうか。

まこっちゃん、まこっちゃんって親しげに言っているけれど、私は彼の本名を知らない(聞いたかも知れないけれど忘れた)。

ダンサー・イン・ザ・ダークみたいに、映画の中のひとだったのかもしれない。

自転車をとりにつれていってくれた後ろ姿は、そういえば映画的だったし

もう綱島の駅前にTSUTAYAなんてないかもしれない。雑居ビルの二階の、小さな小さな店舗だったもの。

 

月明かりのせいかもしれないし、朝がまだ遠いせいかもしれないけれど

ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶ、まぼろしのような気がしてきて

私の、この、手のひらも実在しているか不安になってきて

たいした苦労もしてないくせに皺だらけの手のひらを、ぐっ、ぐっと、手もみしてみた。

 

きっと、ずっと、そうなんだ。居るか居ないか分からないくらいの

この手のひらの、おぼつかなさ。こころぼそさ。

こんなに小さかったかなあ、この手は。

 

まこっちゃんのことは、ユウちゃんにきいたらすぐ分かるのだろうけれど

たぶん、これからもきく事はないのだと思う。

 

今日も実在しているならば、あいを。

まこっちゃんに、ユウちゃんに。鶴見川に、自転車たちに。それらに付随するものに。

この手のひらに。

 

両の手を、膝の間に挟むようにして、眠った。